
1989年、一人の中国人男性が上海から日本へと渡ってきた。丁尚彪(ていしょうひょう)、35歳。上海の街角で日本語学校のパンフレットを手にした彼は、親戚や知り合いに頼み込んで借金をし、日本へとやってきたのだ。入学金と半年分の授業料は合わせて42万円。それは、中国で夫婦二人が15年間働き続けなくては得ることのできない金額だった。上海に生まれながら、文化大革命によって貧しい農村での生活を強いられた彼は、教育を受けることができなかった。日本語学校で学んだ後、日本の大学へ進学することで、彼は人生の再出発を図ろうとしていたのだ。
しかし、日本語学校のあった場所は、北海道の阿寒町。住所の最後には「番外地」とあった。中国から来た生徒たちは皆、働いて借金を返しながら勉強していくつもりだったが、町に仕事はない。かつて炭鉱で栄えたこの町は、過疎化を打開したいという思惑から、日本語学校を誘致したのだ。日本=東京というイメージしか持っていなかった生徒たち、中国人の経済状況を理解していなかった学校経営者……お互いの無知に因る悲劇だった。
多額の借金を返さなければならないため、賃金の安い中国に戻るわけにはいかない。丁は、やむなく阿寒町を脱出し、東京へとたどり着くが、語学学校の生徒ではなくなった彼にビザの更新は認められず、不法滞在者の身となってしまう。再出発への希望が消えた彼は、果たすことのできなくなった夢を一人娘に託そうと決意する。「娘を何としても一流大学へ進学させたい」。見つかれば即座に強制送還という身でありながら、借金を返し終えた後も東京で働き続け、稼いだお金はすべて上海の妻子へと送金した。
制作チームが彼と出会ったのは、1996年。来日7年目の春のことだった。7年間、中国へは一度も帰らず、3つの仕事をかけもちしながら都電が走る傍の豊島区の古い木造アパートで生活していた。壁には7年前に別れた、当時小学校4年生だった娘の写真が貼られていた。
年が明けて、1997年2月。制作チームは彼の家族を訪ねるため、東京で働く様子を撮影したVTRを持参して上海へ。8年ぶりに見る夫の姿、8年ぶりに見る父親の姿……自分たちを置いて日本へと旅立った彼が、日本でどれほど苦労しているかを知り、母と娘は涙した。娘の丁琳(ていりん)は、中国屈指の名門校、復旦大学付属高校3年生。アメリカへ渡り医者になりたいという夢を持っていた彼女は、父が自分のために身を粉にして働いていることを知り、努力の末、ニューヨーク州立大学に見事合格する。
出発の日、上海空港で一人去っていく娘の後姿に、母親は人目をはばかる事もなく号泣した。そして、ニューヨークへ向かう途中、東京での24時間のトランジットを利用して、父と娘は8年ぶりの再会を果たす。8年間も別れて暮らしてきたが、娘にとって、父は変わらぬ父だった。「私、知ってるの。お父さんが、心の底から私を愛してくれていることを」。
東京、上海、ニューヨーク。お互いを信じ、お互いを思いやりながらも、離ればなれの生活は続く。強い“絆”で結ばれた3人が信じ続ける希望とは……!?